03.24
聖書が教える人間とお金との関係について~テモへの手紙第一より~
大地震の直前、自分は、フェイスブックとmixiというSNS
にお誘い頂き、2人の方とお友達になっていましたが、大地震直後、
クリスチャンの友人からフェイスブックのお友達申請を受けたの
をきっかけに、7人のクリスチャンの方からお友達申請を頂き、
地震の被害の状況や、意見を交換できるようになりました。
大地震の直前にSNSにお誘い頂いたのは、神様の導きだったと
思わずにはいられません。お友達8人のうち、7人がクリスチャン
の為、フェイスブックでの発言は、キリスト教関係の話や、この
ブログの内容が多くなるのは、必然的でした。
すると、フェイスブックにお誘い頂いた、ファイナンシャル・プランナー
のカン・チュンドさんから、以下の様な質問が、フェイスブック上に
書き込まれました。
金を愛するは、 もろもろの悪しき事の根なり 「新約聖書より」
(愛するって、執着するっていうこと?)
実は、こんな言葉が聖書に書かれているとは、自分も知りません
でした。こんないいかげんな自分でもクリスチャンになれるので
すから、峰町キリスト教会は、寛大です。
(聖書を全部読んでなくてもクリスチャンにはなれます)
でも、こんな時こそ、本家、聖書を読むべき時だと思います。
とりあえず、クリスチャンで、FPの中村芳子さんの「3日でわかる聖書」に、
聖書は、清貧をすすめていないとして、財産を持つこと自体ではなく、
財産に執着してしまうことに警鐘を発しているようです。
と書かれていたので、
「カンさんの解釈でほぼ合っていると思います。」
とコメントしましたが、後日、自分のブログで詳細を解説しますと
いいました。
ノンクリスチャンの方から、こういう質問が来たという事は、クリス
チャンの自分としては嬉しい事です。これも、自分がフェイスブック
や、このブログで聖書の事を書いていなければ、なかった事でしょう。
このブログやフェイスブックでの自分の立ち位置は、クリスチャンと
多くのノンクリスチャン投資家の間に立って、それぞれのいい点を、
伝え合う橋渡しになれれば良いかなと思っております。
さて、上記の新約聖書の言葉は、テモテへの手紙第一6章10節の言葉
なのですが、新改訳聖書も含め、うちにある新約聖書の解説本を総動員
して、投資で資産運用している自分も聖書は、お金との関係をどうすれ
ばよいかと言っているかを学びながら、解説してみたいと思います。
聖書は、1節だけを取り出して、読むと何を言っているかわからない
事が多いです。つまり、上記御言葉の前後に、テモテへの手紙第一全て
に(もっと言うと聖書全体に)、何が書かれているかを確認する必要
があるのです。
ここでは、わかりやすく解説するために、現代語に翻訳された聖書、
リビングバイブルを使って解説したいと思います。
テモテへの手紙第一とは、パウロが、息子のようにかわいがっていた
テモテに送った手紙です。パウロの勧めでキリストを信じ、以後行動
を共にし、献身的に協力した青年です。パウロも手足となって働く彼
を信頼し、やがてエペソの教会の指導を一手に任せるようになりました。
しかし、年若くして責任ある立場におかれたテモテには、それなりの
苦労もありました。そうしたことを思いやり、パウロは父親のような
やさしさで、指導者としてのありかたを教えています。
その6章のサブタイトルは、「お金ではなく神様を頼る」です。
その全文を、以下に記載します。
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1.クリスチャンである奴隷は、主人を心から尊敬して、一生懸命
働きなさい。キリスト様に従う者となりながら、怠け者だと非難
されてはなりません。そんなことで、神様の名と教えが笑いもの
にされては、たまりませんから。
2.主人が、たまたまクリスチャンの場合でも、それをいいことの
気をゆるめたりせず、むしろ、いっそう熱心に働きなさい。
その結果、益を受けるのは、信仰を同じくする、あなたの兄弟
なのですから。
テモテよ。そべての人にこれらの心理をよく教え、心から従う
ように勧めなさい。
3.中には、これらを無視する人がいるかもしれません。しかしこれは、
主イエス・キリストの健全な教えであり、神様を敬う生活の、
基礎となるものです。
4.違った教えを広める人がいれば、それは、高慢のなせるわざで
あり、自分の無知をさらけ出す行為だとみなしなさい。つまり、
キリスト様の言葉をいい加減に解釈し、ねたみや怒りにかられて
議論を果てしなく続け、その結果、悪口や非難、不信感のとりこ
になるのです。
5.こうして議論に明け暮れ、心が罪にゆがんでいる人は、心理を
どう表現すればいいのか知りません。彼らにとって、真理とは、
金もうけの手段にすぎないのです。そんな人から遠ざかりなさい。
6.ほんとうの金持ちになりたいと思いますか。もし今、幸福で心
が満ち足りているなら、あなたはすでに金持ちなのです。
7.私たちは、一円たりとも身につけてこの世にうまれたわけでは
ありません。また、この世を去る時にも、一円も持っていけま
せん。
8.ですから、食べる物と着るものがあれば、満足すべきです。
9.しかし、金持ちになりたがる人は、もうけ話に見境がなく、すぐ
悪に走ってしまいます。その結果、ひどい目に会い、心を汚し、
ついには、地獄へ送り込まれることになります。
10.お金を愛することは、あらゆる悪の根源です。中には、お金を
愛するあまり、信仰を捨て、神様から離れてしまった人もいます。
おかげで、そんな人は我が身を刺し通す、激しい悲しみに襲わ
れるのです。
<11節~16節省略>
17.金持ちには、高慢にならないように、そして、すぐになくなる
お金に望みをかけないように教えなさい。また、必要なものを
いっさい備えて、私たちの人生を楽しませてくださる神様を誇
りとし、この方だけを信頼するように忠告しなさい。
18.また、お金の生きた使い道を教えてやりなさい。自分の持ち物
はすべて神様からいただいた物だとわきまえて、困っている人
には、喜んで分けてやるように心がけなさい。そうすれば、神
様の前でたくさんの善行をほどこす者となり、
19.自分のために、ほんとうの宝を天に積むことになるのです。
これこそ、未来に備える、ただ一つの絶対安全な投資です。
また、そうする人は、この地上でも、実りあるクリスチャン生
活を送れるのです。
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聖書に、”投資”という言葉が書いてあることを発見しました。
19節を英語の原文で書くと、投資=investmentと書かれている事
がわかります。2000年前書かれた聖書にも投資のことが書か
れているのには、驚きです。
By doing this they will be storing up real treasure for
themselves in heaven-it is the only safe investment for eternity!
And they will be living a fruitful Christian life down here as well.
以下、「聖書66巻がわかる」から引用します。
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ところで、テモテ先生は、このパウロ大先輩の命令をどのような
思いで受け止めたことでしょう。富む人々に面と向かって、
「高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように」
と告げよというのですから。カーブやシュートでなく、遠慮無し
のストレート勝負です。
「じゃ、何かほかに頼れるものがあるか?」
とやり返されそうです。その富でもって、今日流に言えば、老後
の保障を算段し、しっかり今の生活に保険をかけ、家族の明日の
安心を得ているつもりでいる。そんな相手に
「富に望みを置くな!」
と教えよというのです。
でも、こんなことは、初歩の教えでしょう。「この世で」の豊かさ
は、この世止まりなのです。この世から何一つ持って出ることは
できないのです(6章7節)。富は地上を去りゆく者に何の保証も、
約束も与えないのです。これとてすでに分かりきったことでしょう。
それに、
「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます」(2章4節)
と聞いては、ともに喜んでアーメンと答える。貧しき者への福音。
確かにそうです。しかし、神が願っておられるのは、すべての人の
救いでした。となれば、富む者の救いもまた神のみこころなのです。
こう見ると、富む者への宣教のわざは信仰とその確信のあかしその
ものであったのです。テモテにとっては、「ことばにも、態度にも、
愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範」(4章12節)となるべき
働きでした。福音に生きる姿を示すのも牧会者の大切な使命の一つ
でしょう。となれば、
「衣食があれば、それで満足すべき」(6章8節)と生きる一方で、
「むしろ、わたしたちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる
神様に望みを置くように」との勧めを携え、富む者たちに迫り行くのも
信仰の先達の姿となるものでしょう。
細やかな配慮をもって「痛んだ芦を折ることなく」と群れを導くのも
牧者の務めとするなら、こうして大胆にひるむことなく神にこそ望み
ありと宣言し、キリストの約束を携え行き、確信に生きている姿を示
すことも尊いのです。
望みを置くべきは、
「すべての者を豊かに与えて楽しませてくださる神」になのです。
それも、「楽しませてくださる神」と聞いて、富は楽しむためにあり、
望みを置くべきは神さまとわきまえさせられるのです。
いや、わきまえで終わるのではなく、命じるべきは、富を用いての
生き方もなのです。楽しむために富をくださる神さまに倣って、
「人の益を計り、よい行いに」こそ富むようにと奨め、さらに、
いただいた富を「惜しまずに施し、喜んで分け与えるように」(6章18節)
と続きます。富むべきは、良きわざに、持てる富は人のために、と
言うのです。実に富の用い方(資産運用の方法)までも説き聞かせる
のです。余計なお世話でしょうか。いいえ、そこまで踏み込んで行く
のが福音の宣教なのですし、牧会なのです。
キリストの約束を信じ、神に望みを置く。それで富に執着していた
魂が解放され、生き方までが変わり、
「まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身
のために築きあげるように」(6章19節)
との歩みが始まるのです。その基礎を据えるのを助け導き支えるのが
牧師テモテの役割でした。信仰生活は何に信頼して今を生きるのかと
の生き方そのものにかかわることだったのです。
「汝この世の富める者に命ぜよ」との指示は、まさに未来に備えての
信仰生活の要となる
「神に望みを置く」生き方
を、大胆に臆することなく宣言し、身をもって指し示して行くように
との大先輩パウロからの激励だったのではありませんか。
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クリスチャンのお金の考え方は、18節にあるように、お金や自分の
持ち物は、全て神様から頂いたものというものです。
中村芳子さんの20代のいま、やっておくべきお金の事の154ページ
でも、「10分の1寄付」という考え方がある。これは、収入の10
分の1を寄付するということで、元をたどると「旧約聖書」にこの教え
がある。いちばん最後の「マラキ書」に
「収穫の10分の1をその源となる神に返しなさい、そうすれば、
大いなる祝福を受けることを約束しよう」
と書いてある。「金持ち父さん貧乏父さん」に登場する事業に成功した
裕福な父さんは、この10分の1の考え方を信じ、実行していた。
キリスト教国である欧米では、この教えを実践している事業家は少なく
ない。「成功の秘訣」の一つとしてあげる人もいる。
「情けは人のためならず」ということわざがあるが、寄付や献金も決して
人のためだけでなく、やがて自分の元にさまざまな形で返ってくる。
中村芳子さんも、起業した時から10分の1を実践して、大いに祝福され
ているそうです。
自分も起業してから、おかげさまで、毎月、何とか利益を出すことができ
ていますので、毎月お店の売り上げの10分の1は、自分の母教会に献金
しています。
逆に残り10分の9は、その人が自由に運用して良いのです。
新約聖書のマタイの福音書にイエスが天国のたとえ話をする箇所があります。
以下、3日でわかる聖書174ページから抜粋します。
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「天国は、ある人が旅に出るとき、召使いたちを呼んで、自分の財産を預
けるようなものだ。それぞれの能力に応じて、ある者には5タラント、ある
者には、2タラント、ある者のには1タラントを与えて旅に出た。」
タラントは、当時のお金の単位で、6000日分の日給にあたります。
こんな多額のお金、あなただったらどうしますか。
5タラント預けられた者は、それで商売して、5タラントもうけました。
2タラント預けられた者も、もう2タラントもうけました。
1タラント預けられた者は、それが無くならないように隠しておきます。
帰ってきた主人は、5タラント稼いだ者をほめ、喜びます。
「お前は少しのものに忠実だったから、多くのものを管理させよう」
2タラント稼いだ者も、やはりほめられます。
ところが、1タラントを隠しておいた者は、大目玉を食らい、こう言われるのです。
「怠け者の悪い召使いめ。せめて銀行に入れておくべきだった。そうすれば、
少しは利息がついただろう。この者からお金を取り上げて、10タラントもって
いるものに与えよ。持っているものは、さらに与えられて豊かになるが、持って
いない者は、持っているわずかなものまで取り上げられる。」(マタイ25章)
お金を投資して商売をするというのは、怖いことです。投資額が大きいほど、
それに見合ってもうかる可能性も、損する危険性も大きくなります。
先の2人の召使いは、よほど勇気と商売の才覚があったのでしょうが、
ずいぶん苦労もしたことでしょう。
この話は、ふつう「人は、自分に与えられた才能に応じて努力し、成果を
上げることが大切。神はそれを喜ぶ。」というメッセージにとらえられて
います。資本主義の利潤追求正当にひと役買ったとする経済学者もいます。
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つまり、聖書では、自分の能力に応じて、商売したり、資産運用する事を
勧めているともいえます。
自分は、ハンコ屋と古本屋という商売をし、お店の利益から10分の1を
献金し、残りの10分の9で、毎月3万円のインデックス・ファンドの積
み立て投資を行っていますが、今月の積み立て程、日本の為にも、そして
自分の為にも投資できた月はないと思います。日本だけでなく、海外にも
資産分散しててよかったです。
(資産配分=ポートフォリオは、以下の通り。IF=インデックス・ファンドの略)
タンス預金ではなく、市場にお金を流すことで、日本の株や不動産、国債
を買うことで、震災で打撃を受けた日本経済を応援し、海外の株や不動産
債券を買う(円を売ってドルを買う)ことで、日本と世界が協調して行っ
ている円売りドル買い為替介入を支援することができ、たまっていたマネ
ックスポイントで、被災地への義援金も送ることができたからです。
お金は、神様からの預かりものと考えて、賢く運用して、賢く増やし、お
金を世界中に与えて(投資して)、お金にも働いてもらい、世界中からも
利益をいただき、商売で利益がでたら、献金や寄付をする事で、世の中に
お金を回していく。ある意味、お金に執着せず、お金を手放す事で、初め
て利益がでるのです。
このインデックス・ファンドの積み立てによる国際分散投資という投資法
は、聖書の御言葉にもかなった投資法だと思います。仕組みを作ってし
まえば、上がっても下がってもドルコスト平均法で、コツコツ積立て、
あとは神様にお任せするだけです。このような投資法があることを教えて
いただいた、カン・チュンドさんと中村芳子さんには本当に感謝しています。
カンさんは、1998年にインターネット上でアメリカのファイナンシャル
プランナーと出会い、
「資産配分を行おう。インデックス投資を実践しよう」
というシンプルな考え方に感銘を受け、日本人にインデックス投資を伝える
インデックス投資アドバイザーになられたとのこと。
長谷川枕山堂も以下の本を通して、インデックス投資を伝道していきたいと思います。
もちろん、神様にも感謝しています!